アゼルバイジャン領ナゴルノカラバフで、同国と隣国アルメニアが戦火を交えた民族紛争が1991年に勃発してから25年。アゼルバイジャン側の難民・国内避難民は約100万人に上るが、帰還の見通しは立たず、長引く「仮住まい」の中、年配者らは望郷の思いを募らせている。首都バクーにある難民居住施設を訪ねた。
◇「故郷で死にたい」
バクー西郊のヤサマル地区。かつて学生寮だった建物の窓から洗濯物が一斉に風に翻っていた。ここに住むグルダナム・カリモワさん(78)は、ナゴルノカラバフ周辺のゼンギラン地区の村から来た。
「アルメニア部隊が迫っていると夜中に知らせを受け、家族や近所の人と一緒に逃げた。数キロ離れたイランとの国境の川に着いたら橋がない。粗末な木の橋を架けて渡ったが、川に落ちて多くの人が死んだ」。イラン経由でバクーにたどり着いたが、逃避行中に娘を1人亡くした。
ゼンギランでは一家で4ヘクタールの農園を営み、自給自足ながら豊かな生活があった。今は1部屋に家族5人で暮らし、台所やトイレは数家族で共用だ。
カリモワさんは「最大の願いは元の家に帰ること。アゼルバイジャン人の血には大地への愛着がある。故郷に戻って死にたい」と話した。
隣の部屋に住むアリ・アリエフさん(67)もゼンギラン出身。「今、グーグルマップの衛星写真を見ると、村は荒れ果てているようだ。故郷に戻りたいが、帰るべき家があるのか分からない」と顔を曇らせた。
◇くすぶる強硬論
日本・欧米企業との合弁によるカスピ海油田開発で潤ったアゼルバイジャン政府は、光熱費や大学授業料の免除、就業支援など手厚い難民支援を行っている。2001年以降、約25万人分の難民用住宅を建設した。だが、最近の石油価格の急落で歳入が減り、財政赤字に苦しむ状況だ。
ナゴルノカラバフ紛争では、ロシアの支援を受けたアルメニア側が一方的に勝利し、今もアゼルバイジャンの国土の2割を実効支配している。だが、今年4月、94年の停戦以来最大の戦闘が発生。アゼルバイジャン側が初めて勝利を収め、「八つの丘を含む200ヘクタール」を奪還した。ロシアが停戦仲介に乗り出し、戦闘は4日間で終わったが、アゼルバイジャン側では「外部の介入がなければ、数日で決着をつけられる」という強硬論もくすぶる。
難民問題政府委員会のフアド・フセイノフ副委員長は「国連安保理はナゴルノカラバフからのアルメニア軍の即時撤退などを求める決議を採択したが、履行されないまま20年以上たった。紛争の最終的解決は難民が帰還することだ。いつまで待てばよいのか」と訴えた。(2016/10/09-15:20)